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13 June

11日(土)全障研埼玉支部の学習会にいってきました

奈良教育大学の越野和之先生が講師で、「特別支援教育の提起するもの」というテーマでした。

固定式の「特殊学級」にかえて「特別支援教室」に、盲ろう養護学校が「特別支援学校」にと、あたかも決まっているかのような動きが見られます。

でも、「固定式の障害児学級をなくすな」という声が大きく盛り上がったように、「特別支援教育」の制度改革の内容にはおおきな危惧を抱かざるをえません。

越野氏は「特別支援教育」を「21世紀初頭の時点において、わが国教育行政が提出した、障害児教育制度改革の全体構想」と規定します。

日本国憲法は第26条1項において「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と規定していますが、越野氏は「法律の定めるところにより」という箇所に注目します。

制度に関する法律も決まっていないのに「特別支援学校へ」などという学校としての目標を掲げることは憲法違反ということでしょか。

越野氏は「特別支援教育」を(1)キャッチコピーまたは「表明された理念」(2)制度改革構想の骨格(法令の改定を要する事項)(3)「その他のアイデア」ないし「ツール」(個別の教育支援計画、コーディネーターの指名ないし校務としての位置づけ、広域特別支援連携協議会など)の3つの層でとらえること、そのうち(1)と(3)の積極性と可能性(2)への危惧、不安を指摘します。

その矛盾は「隠された理念」(第4の層)小泉「構造改革」に規定されているからだと指摘しました。具体的には、「ナショナルミニマム達成」という前提的認識、「既存の特殊教育の人的・物的資源の再配分」「統合された制度」の具体的運用を地方自治体へ「丸投げ」し、国の条件整備義務を「緩和」、という形であらわれているとのこと。

そして、さらに「権利としての教育」への敵対(第5の層)を指摘しました。
教育基本法の改悪(「権利としての教育」から、「義務としての教育」+「サービスとしての教育」へ)と結びついているとのこと。ここでの「自立」は押し付けられる「自立」(「障害者をタックスペイヤーへ」というキャッチコピーの危険性もこの流れで考えると納得できます)、「平等」も戦争への協力の「平等」ではないかと越野氏は指摘しました。

最後に、取り組みの核としての「民主主義の徹底」を提起されました。
「子どもたちに、だまされない、手をつなぐ、平和を守る力を」という矢川徳光氏のことばを引用して、そうした力量をまず私たち自身のものにしようと呼びかけました。

詳しい内容は、「特別支援教育の光と影」というブックレットが全障研出版部から刊行されています(1000円)。ぜひ読んでください。1時間くらいで越野さんの論文は読めます。
23:04:26 | aoringo | | TrackBacks
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