21 April

研究報告書PDF版を掲載しました

さいたま教育文化研究所障害児教育研究委員会では、足かけ4年の研究成果をまとめた「ここからはじめよう! 中学校での『特別支援教育』」を刊行しました。
PDF版を「障害児教育・特別支援教育をよくする埼玉ネット 交流のひろば」WEBページに載せました。
http://www.sakura-ringo.jp/

先進的な実践はないかもしれませんが、中学校の通常学級でも「ここからはじめられそうだ」というヒントが見つけられるのではないかと思います。
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24 February

県教育長への表敬訪問

担任している生徒が日本小肢体不自由児協会の主催するデジタル写真展で金賞を受賞しました。昨年度、社会体験学習で撮影させた写真です。
蓮田の生徒さんが特賞だったので、二人合わせて教育長への表敬訪問が決まり、サル2月14日に行ってきました。そのときテレビ埼玉の取材を受け、同日21時半からのニュースで放送されました。

http://www.teletama.jp/news/0214.html
テレビ埼玉ニュースより
デジタル写真展 特別支援学校の入賞者が受賞報告
体が不自由な人たちが撮影したデジタル写真の展示会で、入賞した特別支援学校の生徒2人が、前島教育長を訪ね、結果を報告しました。前島教育長を訪ねたのは、最優秀賞にあたる特賞を受賞した、蓮田特別支援学校3年の福田和也さんと、金賞を受賞した日高特別支援学校3年の石井俊也さんです。「思い出」という作品で受賞した福田さんは、「授業で秋というテーマが出され、教室が薄暗くてさみしい感じが秋らしく思いシャッターを切りました」と説明しました。石井さんは、「川越の菓子屋横丁の店先にぶら下がる飴が車いすから見上げると、まるで雨が降るようだった」と、撮影した時の思いを話しました。前島教育長は、「面白いと気づく、研ぎ澄まされた感性のみずみずしさに感動する。名誉ある賞の上位10人に県から2人も入ったのは、快挙だと思います」と、2人を称えました。
14:33:10 | aoringo | No comments | TrackBacks

03 February

第12回全国障害児学級&学校学習交流集会学習交流集会のフーラム報告

 第12回全国障害児学級&学校学習交流集会の3日目は5つの教育フォーラムが開催されたました。このうち私は「高校・高等部における特別なニーズを持つ子どもたちの教育」に参加しました。


 コーディネーターは滋賀大学の白石恵理子さん。パネラーは埼玉の夜間定時制で英語を教える松岡元さんと埼玉の高校の教員でもあり、日高教の新たな高校教育政策検討委員長として「提言」をまとめた伊藤稔さん、滋賀の障害児学校高等部の教員の吉田洋さん。
 現在、定時制課程やいわゆる「教育困難」校には障害のあるなしにかかわらず、学力を身につけることに課題のある生徒がたくさんいます。そういう生徒は学習面での課題だけではなく、経済的困難さや自己肯定感の低さなど何重もの課題をかかえています。また、「偏差値」が高い高校の中にも「空気が読めない」生徒や相手の気持ちを配慮できず対人関係でトラブルを起こし、クラスで浮いてしまう生徒がいます。特別な支援を必要とする生徒たちです。

発達障害の生徒のことから「新しい高校のあり方」へ

 今回のフォーラムの特徴は、こうした高校での状況を報告するだけでなく、一歩踏み込んで、教科指導をどうするのか、外部の相談機関にどう支援を求めるのかなどマニュアル化された処方箋や正解があるわけではないので、高校の先生方が試行錯誤する姿が報告されたことでしょう。さらに、発達障害の生徒のことを通して「新しい高校のあり方」「すべての生徒が身につけるべき教養とは何か」について考えようという定期でもありました。
 一方、フロアからの発言では「発達障害の青年が高校までは適切な支援を受けることができたが、専門学校では生活を自分で組立てられずに、単位が取れない」といった問題が提起された。
 「高校を卒業させれば終わり」ということではなく、支援を受けつつ自立する力をどう育てるのか、知恵と経験を交流しながら今後も考えていきたいものです。

23:15:35 | aoringo | No comments | TrackBacks

08 December

全障研埼玉支部の機関紙に巻頭言として寄稿した文章です

全国障害者問題研究会埼玉支部の機関紙「SSCさいたま」に次の文章を寄稿しました。
生活保護批判などの動きを見ると、前回の総選挙で批判を受けて退陣したはずの「新自由主義」が復活しそうな予感がして、書きました。

 新自由主義は自然の法則に反している

今年度、私は高校の地学を担当しています。2学期は地球の歴史と生物の進化を学びました。生物の大きな進化のきっかけは地球規模の環境変動であり、生物は何度も絶滅の危機を乗り越えて進化してきました。
 約6億年前、地球全体が1億年にわたって凍りつきました。これは「全地球凍結」とよばれ、多くの生物種を絶滅させましたが、一方で単細胞生物から多細胞生物の進化のきっかけにもなりました。
約2億5千年前、マントルからの大規模な噴火が引き金となって起こった環境変化は当時の生物種の9割以上を絶滅させました。反面、その後「中生代」の低い酸素濃度の環境に適応する呼吸システムを備えた哺乳類と恐竜が爬虫類から進化する契機ともなったのです。
中生代は「恐竜の時代」といわれるように、ジュラ紀から白亜紀にかけて恐竜が繁栄し、多様に進化しました。その中から鳥類もあらわれました。しかし、その中生代も10キロメートル程度の隕石の衝突によって引き起こされた環境変動によって終焉を迎えることになります。恐竜をはじめ中生代の生物の95%の種が絶滅しました。「母なる地球」と言われますが、地球は「荒ぶる母」であったようです。
 さて、これほど大規模な環境変化ではなくても環境の変化はたびたび起きます。そのときに新しい環境に適応した生物が繁栄し、適応できない種が滅びるというのが生物の進化です。あらかじめ環境がどのように変わるのかは予想できないので、いろいろな環境に適応できるように多様なバリエーションを用意しておくのが生き残りの戦略です。
 恐竜が絶滅し、新生代になってもすぐに哺乳類が繁栄したわけではありません。アジアを除く各大陸では巨大な鳥が栄えて、哺乳類の巨大化を抑えました。やがて海面が下がって陸続きになると巨大な鳥と捕食哺乳類が争うことになりました。このときに大きさでは劣っていた哺乳類が勝利したのは、動きが俊敏であったことに加え、群れを作ったことだと考えら得ています。群れや集団を形成することも生物の種としての生き残り戦略だといえます。
私たちヒトの場合も障害のある人を含めて多様な人が存在するということは生き残り戦略と考えることができるでしょう。環境変化への対応という視点から必然的なことです。その上に、高齢者や障害者など生産活動が困難だったり、生産性が低かったりする仲間も排除せずに、包み込む高度な社会をつくってきたことで、ヒトは種として今日の発展を築くことができたのです。これも生き残るためには必然だったのでしょう。
このように生物の歴史からも、新自由主義がいう「自己責任」や「弱肉強食」の社会が人間らしい社会ではないことが証明されます。年内に衆議院選挙が予定されていますが、人間らしい社会を目指す候補に投票したいと思います。
22:00:56 | aoringo | No comments | TrackBacks

06 November

教育のつどい埼玉2012の分科会

11月11日(日)に、伊奈学園高校を会場に教育のつどい埼玉(県教育研究集会)の分科会が開催されます。
今年も私は障害をもつ子どもの分科会の運営委員をします。
20:43:31 | aoringo | No comments | TrackBacks